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理事長挨拶

令和3年 理事長念頭所感より

おめでとうございます。
正月になるとどうしても「また歳をとってしまった。もう歳はとりたくないな」という思いがつくづくいたします。一休さんの「正月や冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」のとおりです。

さて、今年の総合目標について、お話ししていきます。

今年の総合目標
コロナ禍にあっても仕事が自分を強くする 人の役に立つことで自分の
存在の意味を実感し 自分の豊かさに感謝し 誇りにしよう」という事にしました。

コロナという単語を使った理由は、昨年の1月から12月まで1年中コロナで大騒動でした。今年もコロナが猖獗(しょうけつ)を極めている状態です。2〜3年したらコロナというのがあの頃あったよなという日が来るとおもいますが、このことを記憶するためにコロナという単語を使いました。我々は世間がどんな状態にあってもこの医療界に在る以上は、仕事をすることで自分たちは強くなります。人が一番困ったときに助けてあげられるし、人が一番嫌な思いをしているときに家族にも喜んでもらえるし、人の死にも対応します。こういうことで色々な人生の浮き沈みを見て、そして、自分の心が強くなるということです。ですから、是非自分たちの仕事を一生懸命しましょうという意味でこの言葉を入れました。という事で、「人の役に立つことで自分の存在の意味を実感し」今年は特に、自分たちは、人の役に立っているという意識を忘れないように仕事をしていきましょう。

「自分の豊かさに感謝し」
航空・運輸・ホテル・飲食業などのサービス産業のほとんどが膨大な損失を被り、休業を余儀なくされたり、解雇されたり、いろんなトラブルが益々これから酷くなっていくのだろうと思います。その中で、医療界ではそういうことは、まだ分かりませんが、ほぼ無いと言えるのではないでしょうか。一寸先は闇と言いますから、何とも言えませんが、そういう時代に我々はいますので、自分たちは経済的にも恵まれているということを是非実感していただきたい。

それから、我々が今の時代のこの環境にあるということは素晴らしいことであるという事を説明したいと思います。
私は、昭和19年に生まれて、太平洋戦争が昭和20年に終わって、それから昭和26年に朝鮮戦争が始まりました。その頃は、電気はありましたが、水道はなく井戸水。トイレはもちろんぼっとん便所ですからウジが湧いていました。冬になると炭に火を起こして火鉢に入れて暖を取る。夏は蚊帳。非常に物資の不足した時代にいましたけれども、日本中がそうでしたから特に嫌だなと思ったことはありません。ところが、今現状を考えてみてください。何もかも満ち溢れています。全てにおいて我々は足りないものは無く、全国民に行き渡っている状態です。北朝鮮・中近東・アフリカ・南米などでは、年がら年中政情不安、戦争、食糧危機、こういったものにみまわれて自分の発言も自由にできない。中国に至っては、ウイグル・チベットなどの人々の多くが、強制収容所に入れられているという話らしいです。こういう中で、自由な日本に生きている。我々は非常にありがたいなと私はいつも思っております。みなさんは是非こういうことを一度噛み締めていただきたい。

昔の哲学者の言葉をパワーポイントで見ながら縷々(るる)紹介して、私の考え方をお伝えしていきます。
ゲーテのファウスト「どうせ人間はどんな瞬間にも満足しないものなのだ」と逆説的に述べています。アリストテレスが逆に「幸福は自己に満足する人の事である」自分に満足していれば、どんな時でも幸せだと言うことです。
こういうふうに二つの相反することを挙げて議論を深めることを弁証法と言い、弁証法では大いに議論して、何が良いかということを議論するというやり方ですが、私はこれに倣って、人は不満にばっかり思っていたら永遠に不満である、幸せであると思えばその瞬間に幸せである。ものの考え方ひとつで人間の生き方が変わってくるということをみなさんには考えていただきたいのです。

アランの幸福論というものがあります。フランスの数学教師ですが、この人は、「あなたは幸せですか」と問いかけられたときに、多くの人が「いやあ」と答えると言っています。皆さんどうですか。「はい幸せです。」と言えますか。「いやあ」と答える人は、くだらない小さなことを思い出し、あれもできていない、これも満足できないということを思い浮かべ、その度に「ありがとうございます」「光栄です」という言葉が出てこないということです。小さなことをあれこれ思うよりも、人に聞かれたら是非「私は幸せです」と素直に言えるような心を鍛えていただきたい。
そこでアランの言葉「いつも生き生きと生きてゆくためには、人の助けになるか、誰かの役に立つことだ。その事で自分という存在の意味が実感される。」人の役に立つために仕事をして、自分の存在価値があるんだということです。

次はニーチェの勇気の出る言葉から。
「強いのは常に仕事に打ち込んでいる人だ。どんな事が起きても、たじろがない・ぶれない・うろたえない、仕事によって人格が鍛錬されるからだ」
一生懸命仕事をしていれば、どんどん人格が鍛えられ、そして強くなっていくということです。手を抜いていい加減なことをしていると自信が湧かないから少しも強くならない。

次もニーチェです。18世紀の哲学者ですが、この人の有名な著作としては「人間的なあまりにも人間的な」というエッセー風の書籍があります。そのニーチェの言葉で「一つの仕事に邁進するためには、どんな仕事よりも自分の仕事が魅力的で重要なものであると信じる事である。」要するに信じられないとどうしようも無い。一生懸命仕事をして自分たちの仕事が一番いいんだと信じて頑張っていこうということです。「仕事に一生懸命にたずさわる事は、くだらない妄想を考える事もなく、心地よい疲れと報酬まで与えてくれる。」まさにその通りです。一生懸命仕事をして、「ああ疲れた」と心地よい眠りがやってきて、そして給料がいただける訳ですから、こんないいことはないですね。

次はストア哲学。古代ギリシャの神殿の柱(ストア)のところでゼノンが講義をしていたところから出てきた哲学です。「人間は人の役に立つために生まれてきており、孤独や無為は人間を堕落させ頑固にし、異常なものにする。」この哲学を信奉したのが、古代ローマ帝国の5人の賢帝のうち、最後の皇帝で第16代マルクスアウレリウス。自省録(じせいろく)という本を書いています。このストア哲学に共鳴して、ローマ帝国をしっかり治めた。その後くだらぬ後継者達が出てきたものですから、ローマ帝国は東と西に分裂して、とうとう滅亡しました。人間はこういう時に、名誉や私利私欲に走らず、人の役に立つために生まれてきているのだという事を思い起こしていけば良かったものをと思うわけです。

話は変わりますが、私は昭和37年、高校3年生の4月に、担任の面接があり、大学はどこにするかという話で、「君は京都大学の医学部か東大の法学部かどちらか選びなさい。」と言われたので、「わかりました。私は東大の法学部を選びます。」と言って準備をしていたわけです。理由は、小田実(おだまこと)という人が、フルブライト留学でアメリカに留学し、「何でも見てやろう」という本を書いておりまして、その本が面白かったんですね。その頃1ドル360円。普通の人は外国には全く行けない時代。その時に俺も外交官になってそういう思いをしてみたいなという気持ちがありまして、外交官を目指していました。

ところが、夏休みの終わりに私の伯父が東京から帰ってきて「君は、大学はどこに行くのか。」と聞いたので「はい、東大の法学部を受けるつもりです。」と答えたところ、「やめなさい」というので「なんでだ」と思いました。「これからは医者の時代だから医学部に行きなさい。」というので急遽医学部に変更しました。今考えますと、もしあの時私が外交官になっていたら、60歳であの世に逝っていました。これは後で説明します。

そしてこの後、鹿児島大学の第一外科に入って、加治木の南九州病院に派遣されました。その頃、色々な事情があって、全く縁もゆかりもないこの姶良市に、「世の為人の為に急性期医療をするんだ」と考え開業して、そして急性期の医療を始めました。急性期医療をするにあたっては、もう休む暇などありませんでした。24時間365日やっていました。それをやっている内に、だんだん規模拡大する方向に神様が運命付けていった訳です。それで136床の青雲病院をつくりました。その時、当時の若松栄二郎管理部長が「先生これからは人間ドックも必要ですよ。」と言うんですね。なんだそれはと思いました。急性期をしているので、慢性期とか人間ドックとか全く頭にありませんでした。しかし絶対必要ですよというので「わかった。じゃあやろう。」と言って、始めることにしました。でも何をどうしていいかわからない。何をどうしていいかわからなくても「やれば出来る」と思って始めました。始めるにあたっては人が必要ですね。そこで当時病棟で燻っていた現在の岩永部長を抜擢して「あなたは、人間ドックをやりなさい」と指示しました。彼女もどういうことをするのか、何が必要かということが、皆目見当がつかなかったと思いますが、いろいろ勉強してくれて、最初、年間2人しか受診者が無かったのが、今は7,000人を越える組織になりました。この人間ドックをしていることで、色々な疾患・癌が見つかるので、やはり健診は必要だなと内心思ったわけです。

59歳の12月29日に、来年は還暦を迎えるので念のためにと思い、内視鏡検査を受けました。そうしたら、松原副院長がモニター画面を見てくださいというわけです。ものの見事な癌がモニターに映っていました。私は早速鹿児島大学に電話して、当時の同級生、愛甲教授に、「胃癌の愛甲」と言われるぐらい名を馳せていましたから、あまり鹿児島にいない人でしたが、「1月7日鹿児島に居るか。」と尋ねたら「居る」というので、「胃癌が見つかったので、俺の手術をうちの病院でしてくれ。」と伝えて手術をしてもらいました。この時、愛甲先生が鹿児島に居なかったら、おそらく私は手術を伸ばしただろうと思います。その後、愛甲先生が切除標本を説明するとき、あと何週間か遅れていたら血管内に入って全身に転移してアウトだったということを聞きました。その半年あとに、現在の青雲会病院を新築する時のある会社の社長に「健診は受けたことがあるか」と聞いたら、「いいえ」というので「ここで健診を受けなさい」と助言して、この人にも受けさせました。ちょうど私と同じぐらいの癌が見つかったんです。「愛甲先生を呼んであげるからここで手術をしなさい」と伝え手術をしたのですが、残念ながら1年で全身に転移して亡くなりました。だから自分は幸運だったなと、つくづく思うわけです。

今振り返ってみると、まず、第一に医学部に行ったということ、それから人間ドックをしたということ、それから愛甲先生が鹿児島に居たということ。居なかったら、癌が小さかったので、先延ばしして、60歳でこの世を終わっていたと思います。ということで、一生懸命仕事をしていれば、やはり神様は見捨てないんだなと心から思っている次第です。
なぜ自分が生かされているんだろうという事を振り返りますと、本当に人の役に立つことをしなさいということを言われているような気がします。ですから、私は今後も、人の役に立つような組織を運営していきたいと思っております。そのためには、形而上学(けいじじょうがく)の権威のハイデガーが、「自信は習慣と経験の積み重ね」であると述べていますが、ただぼうっとしていては自信なんか付きません。一生懸命努力してそして色々なことを経験して、そして人の役に立っているという事を認識したときに初めて自信が湧いてくるのだと思います。だから色々なことに不平不満を言わずになんでもありがたいと満足し、そして自分の習慣をしっかり身に付けて、そして経験を積み重ね自信をもっていただきたいと思います。

もう1回今年の総合目標です。
「コロナ禍にあっても仕事が自分を強くする 人の役に立つことで自分の存在の意味を実感し 自分の豊かさに感謝し 誇りにしよう」
今年1年、自分の仕事に感謝しながら誇りにし、頑張っていただきたい。

年頭所感 令和3年1月4日
理事長 川井田 浩

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